こんにちは。
自死遺族専門カウンセラーの向井はじめです。
息子を自死で亡くしたお母さんが来られた際、よく聞く言葉があります。
それは「私の教育が悪かったから」と。
ですが、僕はそのようには思いません。
至って普通の家庭と同じように、子どもと接しているように感じられるからです。
なぜ、このように思うのか、聴いてみると、どうやら「他人を責めるべきではない。」という信念をもっているからのようです。
今日は、「息子を自死で亡くしたとしても誰かを責めてもいい理由」というテーマでお話します。
「完璧主義」自分の理想を追求してしまう
「他人を責めるべきではない。」というのは、理想論です。
確かに、自分のことを許し、そして他人のことを許すことができたとしたら、心が楽になるのは間違いありません。
ですが、人は完璧ではありません。他人を責めてしまってもいいのです。
「他人を責めるべきではない」という信念こだわってしまうと、自分自身を傷めつけることがあるのです。
もちろん、「~ねばならない」「~すべき」という信念を持つことは、悪いことではありませんが、これらの思考が、僕達を苦しめていることがたくさんあります。
人はなぜ悩むのか?
人間が悩むのは、何故かと言うと、「期待」があるからです。その「期待」が満たされなかったとき、人間は悩むのです。
特に、「~ねばならない」「~すべき」という信念は、大きな「期待」があるときに生まれます。
ですが、もしそれがかなわなかったとき、大きなストレスを抱えてしまいます。
「なぜ自分はできないのか?」
「自分はだめな人間だ」
という思いで自分で自分の首を締めることになってしまいす。
そして、この「~ねばならない」「~すべき」という思考こそが、自己嫌悪、恥や罪の意識を感じる原因になります。
さらに、この状態が続くと、思考が停止してしまい、どんどん自己嫌悪に陥ります。
罪悪感に苛まれ、無気力な状態へとなり、最悪は死に至ることもあります。
「~するにこしたことはない」といい変えてみる
ですので、「~ねばならない」「~べき」「~してはいけない」という思考に気がついたら「~することにこしたことはない」「~しないにこしたことはない」と言い換えてみましょう。
もちろん、「~するにこしたことはない」というレパートリーだけではありません。
に越したことはない
が望ましい
ができたらいい
このようにアレンジすることもできます。
「責めてはいけない」
⇒「いつか許すことができたらいい」
「自殺してはいけない。」
⇒「自殺しないに越したことはない。」
「身内が自殺したことは話してはいけない。」
⇒「いつかわかってくれる人に話すことができたらいい。」
思考に「遊び」を入れる
車のハンドルやブレーキには、”遊び”と呼ばれる「隙間」や「ゆるみ」が必ずあります。
遊びがなければ、車に大きなストレスを継続的に強いることになるからです。
”遊び”は、負担を軽減させるためにあるのです。
これは、人間も同じです。
人間にも”遊び”がなければ、ストレスが大きくかかってしまいます。
完璧主義はもう手放しましょう。
だからといって、最初からすべてを完璧にしなければならないことはありません。
少しずつ、少しずつ、ご自身のペースで考え方を変化させていってくださいね。