こんにちは。
自死遺族専門カウンセラーの向井はじめです。
身内が自殺し、しばらく立って、ふとあの出来事のことを思い出すことがあります。そんなとき、「なぜ自分ばかりがこのような思いをしなければいけないのか?」考えることがあるかもしれません。
そこで今日は、「身内の自死を乗り越える意義」についてお話します。
身内の自死と一言で言っても
身内の自死と一言で言っても、状況はさまざまです。
「両親」を、「子ども」を、「兄弟」を、「恋人」を、「妻」を、「夫」を、と言葉でいくら尽くしても言い表すことはできません。
なぜなら、その人は「両親」、「子ども」、「兄弟」、「妻」、「夫」という単なる言葉(記号)ではなく、あなたにとってはこの世でたった一人、かけがえのない、代わりのきかない存在だったはずだからです。
ですので、乗り越える意義を他人が決めるなんておこがましいことはできません。
そのあなたにとってかけがえのない人が自死に至った状況は、それらの人の数だけあるのだとしたら、やはり、自死を乗り越える意義は本人で見つけるしかありません。
自死を乗り越えるには、ときには、辛く、悲しいこともあるかもしれませんし、今すでにそのような状況かもしれません。あるいはもうすでに乗り越えつつある方も中にはいるでしょう。
ですが、もし意義が見つからなくても、そこから抜け出すことはできます。
乗り越えられない壁はないは嘘
「乗り越えられない壁はない。」と言いますが、何の準備もできていない人が、いきなり万里の長城を乗り越えろと言ってもそれは無理な話です。
自殺は突然やってきて、嵐のように過ぎ去り、そこにはないはずなのに、いつまでも嵐があるような、そんな気持ちになったりさえします。
そして、神さまに「失われた過去を戻してください。」といくら頼んでも戻ることはありません。
亡くなったかけがえのない人は、もうこの世にいないのです。
人生に二度はないのです。
もはや現実を受け入れるしかありません。
過去には答えはないのです。
辛いですが現実にしか、答えはないのです。
現実を受け入れることではじめて壁を乗り越える準備ができるのです。
自殺は何かのメッセージである
僕が尊敬する心理療法家のポールワツラウィックは、「私たちはコミュニケーションをしないでいることはできない」といったそうです。
コミュニケーションとは、メッセージの交換です。それは「言葉」だけではなく、身振りや手振りといったボディランゲージもそうですし、声の調子、スピードなどもそうです。
行動には、その人が意識しているかどうかは別にして、すべて意味があるのです。
かけがえのない人の自殺にも必ず意味があるはずです。
そうだとしたら、かけがえのない人の自殺は何のメッセージだったのだろう?
彼、彼女は自殺という行動で何を伝えたかったのだろう?
そのメッセージにあなたはどう感じるのでしょうか?
感じた感情をどう未来に活かすかが残された僕達にとっての使命のような気がしてなりません。