こんにちは。
自死遺族専門カウンセラー向井はじめです。
「どうして人は、自分の悲しみを比べようとするのでしょうか?」
自死で息子や娘、あるいは兄弟、父親、母親を亡くした遺族は、しばしば、「自分が一番つらい」や「私はあの人に比べたらまだいいかもしれない」としばしば、悲しみを比べることがあります。
今回は、「悲しみは比べるものではない」というテーマでお話します。
悲しみを比べるのは自由…でも
悲しみを比べることはもしかしたら自由なことなのかもしれません。
ですが、どちらかがとても悲しくて、それに比べると、どちらかが悲しくないということは、ありえません。
なぜなら、悲しみは自分が感じるものだからです。
他でもないあなたが感じる悲しみは、あなたのものだからです。
「誰よりも自分の悲しみが世界で一番悲しい。」そう思ってくれても構わないのです。
例えば、
「一人っ子を自死で亡くして、天涯孤独になった。」という52歳の女性と「母親を自死で亡くして、父親と2人きりになった。」13歳の男の子。
どちらが悲しいでしょうか?と質問されたら、あなたはおそらく、
「どちらでもない。」
と答えるでしょう。
そもそも、悲しいかどうかは、主観的なものなので、本人でしかわかりませんし、さらに、それを比較されたところで無意味なものでしかありません。
周りが支えるために
「あなたにはまだ兄弟がいるから胸をはって」
「あなたにはまだ夫がいるから支えてくれる」
「他にも生きている子どもがいるから」
そのように周りから言われることがあります。
確かに、周りの意見は正しいのかもしれません。
ですが、人はこころの生き物です。
兄弟とも、夫とも、子どもとも、一人ひとりの関係性は違うはずです。
そのたったひとつの関係を失ったら、中にはどうしていいかわからなくなる人がたくさんいるのです。
たった一つに関係を失ったとき、もし上記のように言われたとしたら、腹が立ったとしても無理は無いということは容易に想像できるでしょう。
なぜなら、兄弟とも、夫とも、子どもとも、比較することはそもそもできないからです。
一人ひとりの関係性は、全く同じものは何一つとしてないからです。
悲しみは消さないで
悲しみは比べるものではありません。
ですが、消すものでもありません。
悲しみとは、愛の対象を失ったときに悲しみを感じるのです。そして、涙は悲しみの表現です。
涙を流すことで、感情を解放することができます。
泣いた後、すっきりした気持ちや心が軽くなる感覚があります。
それは気持ちが整理されつつある証拠です。
ただ、整理されつつあるといっても、決して故人を忘れるということではありません。
“生きがい”とは何か?そして”死にがい”とは何か?
自分が今この瞬間生きている意味がわかることなんてもしかしたらないかもしれませんが、それは、未来振り返ってみたとき、確かにあの瞬間こそが自分の人生のターニングポイントになったと思えるような今にしたいと個人的には思います。