こんにちは。
自死遺族専門カウンセラーの向井はじめです。
職場や学校でのいじめ、恋愛相手の裏切り、夫婦間の不和など、
客観的にみたときに、おそらく自殺に追いやったであろう人物がいて、
その人に対して怒りのぶつけようがないとき、どうすればいいでしょうか?
今日は、「怒り」をテーマにお話します。
どうしても許せない…
なんとしても恨みを晴らしたいと、それだけを考えて生きている。
人生においては、そのような時期も確かにあります。
大切なものを奪われたとき、恨みつらみで頭の中がぐちゃぐちゃになることもあります。
24時間365日、寝ても冷めても、命を奪ったあいつに復讐してやりたい。
そう考えながら苦しみの中で生きている人ももしかしたらいるかもしれません。
よく、「復讐なんて絶対にダメだよ。後になって自分が傷つくだけだから。」と言われることがありますが、僕はそうは思いません。
誤解を恐れずに言うと、傷つくことも覚悟の上で復讐し、それでその人の心が晴れるのなら復讐もときには、その人にとっては必要なことだと思うからです。
復讐とは、仕返しをすることです。
身を剥がれるような思いを相手にも与えることなのです。
復讐は手段でしかない
もし、仮に「復讐」をすると、どうなるか?を考えたことはあるでしょうか?
相手に身を剥がれるような思いを経験させることを達成した後、あなたはどのような気持ちになるでしょうか?
「スッキリ。」
「ざまぁみろ。」
「当然の報いだ。」
と感じるところまではなんとなく想像できそうですが、その先です。
「スッキリ。」
「ざまぁみろ。」
「当然の報いだ。」
もちろん、僕は、このように感じることはダメだと否定しているわけではありません。
自分の気持ちが嘘か本当かなんてどっちでもいい話なのです。
なぜなら、その気持ちはすでにあるのだから、あるのだとしたら、否定しようがないからです。
これらの「復讐」をした先にある「心が晴れやかになる」などの気持ちは当たり前に達成してもらうとして、
なんのために「復讐」をし、達成した後に何が起こり、それは何の目的で達成したかったのかについて考えるのです。
そうすると「復讐」は手段でしかないことに気がつくのです。
怒ってもいい
怒りは大事な感情の一つです。
怒りの感情は、心のホンネに近いからです。
日本の精神風土は、怒りを表に出さないことをよしとする傾向がありますが、同時に「腹を割って話す」ということもよしとされる傾向があります。
うわべだけのキレイ事だけではなく、ときには本音で語り、怒りを伝えることもまた大事なことだからです。
もし、人間にとって不必要な感情なら、そもそも怒りの感情はプログラミングされていないはずです。
怒りは、感じてもいい。
怒ってもいいのです。
怒りをコントロールする
ただ、終始怒っていると、人間関係がうまくいかないことが多々あります。
もちろん、うまくいかなくてもいいと思える人はいいのですが、中には思えない方もいます。
もし、「怒り」をコントロールすることができたとしたら、怒っても人間関係は悪くなりません。
怒りの奥にある自分の思いを探りそれを相手に伝えるのです。