こんにちは。
自死遺族専門カウンセラーの向井はじめです。
大切な人を自死でなくすと、自らが自死に対して偏見を持っていたことに気がつきます。
“死”という現象は変わらないはずなのに、「いっそ交通事故のほうが楽だった。」「殺人の方が楽だった。」「老衰で看取るのがよかった。」など考えてしまう方も中にはいるようです。
それは、責める相手が見えにくいからです。
怒りの矛先をどこに向けていいかわからないからなのです。
遺族が立ち直るには、”死”という出来事を受け入れるのとともに、”自死”という出来事をも受け入れる必要があります。
今日は、死を受け入れる、そして自死を受け入れるというテーマでお話しします。
受け入れるとは?
受け入れるとは、発見し観察することだと僕は思います。
自分の中には、こんな感情もあったのか、こんな考えを持っていたのか、そして、こんなに許せないと思っているのか?
ただひたすら観察することだと思います。
感情や、思考には、そもそもいいも悪いもありません。
「落ち込んでいる」
「悲しみに暮れている」
「パニックに陥っている」
「自分を責めている」
「後悔している」
など、一般的にはネガティブでよくないものとされている感情がありますが、「なんのためにその感情を感じているのか?」について考えてみると、決して悪いことばかりではないからです。
「憂鬱はその人の選択である」
アメリカの精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、
「憂鬱はその人の選択である」
と述べました。
情動を含む、ありとあらゆる行動は、自らが選んでいるのだと考えるのがグラッサー博士が考えた、選択理論です。
感情や情動はコントロールすることができないと従来の心理学では考えていますが、もし感情や情動すらも自ら選んでいるのだとして生活を送ることで、無意味な否定的な感情を感じずに済みます。
感情、情動をも含む人間の行動には、必ず目的があるからです。
落ち込むことで、周りの助けを求めることができます。周りの助けを求めると、安心することができます。
何のために怒るのかというと自分の正しさを証明するためですし、自分の正しさを証明すると、”私”の存在を肯定するためです。
パニックに陥るのは、強すぎる恐怖や不安を避けるためであり、恐怖や不安を避けるのは生存するためです。
安心するため、存在を肯定するため、生存するため。
目的を見れば、目的自体は健全で、肯定的で、美しいものです。
目的から逆算する
情動をも含む行動は、ある目的を達成するための手段でしかありません。
だとしたら、今目的を達成するためには、どんな行動が効果的かを考えてみると、必ずしも今の行動が適切ではない可能性もあります。
まずは、目的ありきです。
目的から逆算し、今の行動はその目的に対して本当に効果的かを考えてみるだけで、考え方はがらっと変わってしまいます。